熊本城の歴史と見どころ

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熊本城のこれまでの歴史を理解できるよう分かりやい内容にしました。

この記事を読めば、下記のことが解決します。旅行の参考にしていただけたら幸いです🍊

✓熊本城天守閣までのルートと各地のみどころ

✓熊本城が舞台となった西南戦争のきっかけとその後

✓加藤清正が築城の名手・土木の神様といわれる所以

✓熊本城城彩苑のおすすめグルメ情報

✓熊本城周辺の観光地

熊本城跡の見どころ(特別見学通路順に沿って紹介)

数寄屋丸二階御広間

数寄屋丸二階御広間
(2022年7月16日撮影・特別見学経路からの眺め)

2016年の4月に発生した熊本地震、震度7の影響によって石垣が一部崩壊され修復の目処が立っておらず、被害の状況を物語っています。この数寄屋丸は、能や茶会が催された場所です。

二様の石垣

二様の石垣
熊本市観光ガイドより画像引用

左右どちらの石垣も、石を平たく加工し石同士の接着面を増やす『打込み接ぎ』という技法で積み上げられています。

右と左で石垣の勾配さ、積み方が異なっているのがポイントです!

詳しく説明していきます。

右側の石垣は熊本城を築城した加藤清正が近江国から率いた石垣職人軍団『穴太衆あのうしゅう』の技術を活かして造られています。

一方で、左側の石垣は後に細川忠利が城主として入り、細川時代に増築したものになっています。

なつお
なつお

石垣に着目してみると、時代や昔の技術がわかって面白い!

加藤清正によって造られた右側の石垣は、傾斜が緩やかであまり加工されていない石を積み上げる『乱れ積み』の技法です。

それに対して、左側の傾斜が急な石垣は、比較的同じ大きさの石を使い、加工が施されている布積ぬのづみみ』の技法です。

もう一つの注目点は、隅部(石垣の角)です。細川時代を見てみると、長方形の石の長辺と短辺を交互に積み重ねている『算木積みさんきづみ』という技法で造られています。こうすることで、石垣全体の強度が増すのです。

打込み接ぎ
(石を加工し接着面を増やす技法)
隅部
右側
加藤清正
乱れ積み
(あまり加工しない)
重ね積み
(比較的サイズを重ねて積む)
左側
細川時代
布積み
(比較的同じサイズ、加工を施す)
算木積み
(長辺と短辺の石垣を交互に積む)
二様の石垣のまとめ

異なった時代に造られた2つの技法の石垣を同時に見ることができるのは、とても貴重ですよ。

現在も、特別見学通路から見ることができるのでぜひ、チェックしてみてください!

熊本城の石垣は、下は緩やかで一見登れそうに見えますが、上に登るほど急な勾配で、武士が登ることが困難なことから『武者返し』と呼ばれ、反りが美しいのもポイントです。

連続枡形

敵に一直線で侵入されないように、連続する枡形(箱形の石垣)を建設し直角に曲がらないと侵入できない構造になっています。敵の速度を緩め、通路横の石垣上にある幾つもの櫓などから攻撃する仕組みです。

竹の丸から飯田丸に向かって6回も折れ曲がっています。

特別見学通路から天守閣が見えてきて、ちょっと進んだ先に現れますが、熊本地震の影響で石垣が崩れ、面影だけ見ることができました(2022年7月時点)。

長塀(国指定重要文化財)

城郭南側にある全長242mの直線に続く石垣で、下部が黒塗り、上部が白い漆喰が塗られ白黒のコントラストが印象的です。春になると桜の木が咲きほこり散策するのに気持ちの良いコースになっています。

長塀に沿って流れる坪井川は、内堀として利用するために加藤清正によって直線化されました。

本丸御殿大広間(闇り通路)

本丸御殿大広間(闇り通路)
ニッポン旅マガジンより画像引用

本丸御殿の床下にある石垣で造られた地下通路で、昼間でも暗いことから闇りくらがり通路といわれています。本丸御殿への正式な入り口も地下にあり、防衛力の高さがうかがえるところです。

暗いので、敵の視界を遮り、槍や弓で攻撃するのに良さそうですね。石垣もそれを支える支柱も頑丈なのでここまで掻い潜ってきたかは不明です。

闇り通路を抜けると、やっと天守閣の目の前にたどり着くことができました。

地震でいくつか櫓や石垣が崩れていたのが残念でしたが、それでも、立派に現存している天守閣や櫓、それを守っている石垣が築城当時のまま現存していて加藤清正公の凄さがわかりました!

宇土櫓(国指定重要文化財)

宇土櫓

(宇土櫓・2022年7月16日撮影)

西南戦争後も築城当時の姿のまま保っている唯一残った多重櫓です。他の城の天守に匹敵する大きさの3重5階櫓の地下1階付きで、高さ約19mもあります。

熊本城には大と小の天守が2つ並んでおり、それらに匹敵する大きさや規模から『第三の天守』とも呼ばれているようです。

2016年(平成28年)の熊本地震により、宇土櫓うとやぐらの全体がひずみ、壁が剥がれ落ちました。宇土櫓の南側にあった続櫓つづきやぐらは完全に崩壊しました。

復旧するには、かなり難しいようで完全復旧は2052年度とされています。

熊本城の概要

熊本城
熊本城 別名:銀杏城(2022年7月16日撮影)

1607年(慶長12年)築城加藤清正(1562‐1611年)

築城当時の熊本城は櫓が49、櫓門が18、城門が29あり、敷地面積98万平方メートルの広さを誇っていました。

1632年(寛永9年)加藤家が改易され、細川忠利が熊本藩主となります。細川忠利は、熊本城の修理や城下の整備、拡張を行いました。

1877年(明治10年)に西南戦争開戦直前の火災で大天守と小天守は焼失していますが、1960年(昭和35年)に、鉄筋鉄骨コンクリート造で天守は見事に再現されました。

しかし、2016年(平成28年)の熊本地震により、瓦や石垣の崩壊、建物は一部損傷の被害を受けました。

西南戦争のきっかけとなぜ熊本城が戦争の舞台になったのか

簡単に1877年(明治10年)に起きた西南戦争を紹介します。

熊本城で起きた国内最後の内戦

西郷隆盛率いる薩摩藩の士族(14,000人) VS 当時できたばかり明治新政府(4,000人)

明治新政府…『普通の平民から武士をかき集めたい=廃刀令、徴兵制、秩禄処分で武士を切り捨てる

西郷隆盛(元明治政府側の人間であり薩摩藩士)率いる士族…自分たち武士の仕事がなくなったことへの不満や新政府軍によって武器を移転されたこと、西郷隆盛の暗殺計画など相まって、挙兵する

西南戦争のはじまり

東京を目指していた西郷隆盛ら士族は、熊本城を鎮圧する必要がありました。

なぜなら、熊本城には『鎮台』という九州地方の警備のための政府軍の拠点があったのです。鹿児島から東京を目指すのに、背後から政府軍に襲われることを恐れていました。

西南戦争で熊本城を死守できた主な要因

武者返し

下から見ると登れそうな石垣が、登るほど急になる造りで敵を阻む。

新政府軍によるスピード援護

当時、電信の発達により加藤清正が熊本城で挙兵したことがすぐに東京の新政府に伝達することができ、物凄い勢いで援護軍を送ることができた。

食糧の備えが豊富にあり50日あまりの籠城戦を制した

  • 城の敷地にたくさんの銀杏の木が植えられていた
  • 120個の井戸があり常に水を確保できていた
  • 壁にかんぴょうを仕込んでいた
  • 畳に保存食として有効な里芋の茎を使用していた

武者返しなどの堅固な造りで歯が立たなかった西郷軍は、兵糧攻めひょうろうぜめ(食料を尽きさせる作戦)に出たがこれらの豊富な食料の備蓄と明治新政府軍の援護によって熊本城を死守することができました。

それは、加藤清正がかつて朝鮮出兵での籠城戦で飢餓状態を経験していたからこそのなせた技と知恵から考え抜かれたお城だということがわかります。

ちなみに、加藤清正は江戸城や名古屋城の築城にも携わっています。

西郷隆盛率いる薩摩藩士族は、熊本城を守っていた官軍のほとんどが農民で構成されていたため、素人に負けるわけがない、一気に攻め落とせるだろうと思っていたそうですが、見事に敗れてしまいました。

こうした50日あまりの戦いで敗れた西郷隆盛は「新政府軍に負けたのではない、加藤清正に負けたのだ」といったのだとか。

加藤清正が行っていた治水事業とは

加藤清正はかつて荒廃していた土地を河川の利水・治水や干拓かんたくに着手し、また農業用水を整備し、水田を豊かにさせ農作物の生産力を高め藩の経済に安定をもたらしました。

熊本は阿蘇山の噴火により火山灰が蓄積するため水が浸透しやすい土壌になっていました。

そこで、清正が水田を開いたことで大量の水が地下へ供給されるようになり、現在でも、熊本市民の約74万人の水道水源をすべて地下水でまかなっているようです。

しかし、熊本市には他都市のようにダムや浄水場が存在しません。近年、地下水が減少傾向にあり節水対策かん養対策が求められています。

かん養…保水力の高い土や木を植えて海に水が流れていくのを少しでも防ぐこと。自然に水を染み込ませ少しずつ養い育てること。

加藤清正は築城の名手でもあり、土木の神様と崇拝され、地元民からは『清正公(せいしょうこうさん)、(せいしょこさん)』と親しまれています。

なつみ
なつみ

続いて、おすすめランチを紹介するね。城彩苑で馬肉あか牛を食べるならココ!

城彩苑ってどんなとこ?

熊本城に向かうまでの道に桜の馬場城彩苑があり、ここで熊本名物の食べ歩きや、飲食店、またお土産屋も沢山ある、活気あふれた場所です。

江戸時代の城下町を再現しているため、町並みも素敵です。

馬肉メンチカツやからし蓮根、新鮮な海の幸、天草のうにコロッケなどから熊本県の銘酒やジュース、緑茶などバラエティー豊かに色々なお店が20店以上軒を連ねています。

四季によって販売されているグルメも違っていたりするため、旬の美味しいものを食べることができるのも魅力です。

≪城彩苑の営業時間↓≫

お土産処9時~19時(※12月~2月は18時まで)
お食事処11時~19時(※土日祝前日は20時まで)

城彩苑までのアクセス

  • 阿蘇くまもと空港から

熊本空港バス停~桜町バスターミナルにて降車し徒歩5分

  • 熊本駅から

≪バス≫ 熊本城周遊バス(しろめぐりん)

熊本駅~桜町バスターミナル~桜の馬場城彩苑にて降車すぐ

しろめぐりん公式サイトはこちら

≪市電≫

熊本駅前電停~熊本城・市役所前電停にて降車し徒歩5分

城彩苑でおすすめのランチ『山見茶屋』

城彩苑の入り口(南御門)から入って右にある、阿蘇、熊本名物を味わえる『阿蘇庭 山見茶屋』に行ってきました!

注文したのは当店人気No1阿蘇名物赤牛丼熊本特産馬刺し定食です!

あか牛丼(¥1,800税込み)
馬刺し定食(¥2,750税込み)

あか牛丼は、柔らかくて脂身が少なく、さっぱりとした味わい。お肉の旨みが噛めば噛むほど広がり、甘みがあってとても美味しかったです!

だご汁も付いていて、鶏肉、大根、人参とすいとんのような団子が入っています。味は豚汁のような味で、鶏を使っているので優しくさっぱりとした味わいでこれも美味しかったです。

だご汁は、大分県や熊本県の郷土料理だそうで皆さんもぜひ、食べてみてください!

馬刺しは、初めて食べたのですが臭みがなくとても新鮮で美味しかったです。馬刺しの味はどれもさっぱりしていて赤身は噛めば噛むほど馬肉の美味しさを感じました。

白いコウネは食感がプリプリしていて、この中で1番あっさりしていました。どれも、大人の味がして貴重な経験ができました。

営業時間 11時~19時 定休日:年末

馬肉 あか牛【公式】阿蘇庭 山見茶屋 熊本城彩苑店
熊本・阿蘇の名物料理。阿蘇高菜や野菜・山菜など阿蘇の大自然から生まれた食材を取り揃えた「阿蘇庭 山見茶屋」。熊本特産の「馬刺し」はもちろん、生でも食べられる新鮮な馬肉を特注溶岩プレートで焼く「馬肉焼」がおすすめです。

熊本城の営業時間 9時~17時(入園は16時半まで)

熊本城の入園料 小・中学生:300円 高校生以上:800円

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今こそ見てほしい熊本城。平成28年熊本地震で大きな被害を受けた熊本城ですが、二の丸広場や加藤神社から、天守閣等を見ることができます。熊本城の復旧状況のお知らせや、二の丸広場等を活用したイベント情報も随時更新しております。熊本城修復の支援を募る「復興城主」制度も情報を掲載しています。

熊本城周辺の観光地

ここからは、熊本城付近の主要な観光地を紹介します!

熊本県立美術館

熊本城の二の丸公園の一角にあり、古美術から近・現代美術、西洋美術を鑑賞することができます。

開館時間:9時30~17時15分(最終入館は16時45分)

休館日:月曜日、年末年始(※月曜日が祝日の場合は翌平日休館)

アクセス

熊本県立美術館 - 熊本県ホームページ
熊本県立美術館ホームページ熊本県美術館

熊本博物館

熊本博物館のコンセプト『未来へつなぐ熊本の記憶』とし、歴史や文化、人と自然の深い関わりをわかりやすく展示しています。

熊本博物館では、現在~2023年12月17(日)まで加藤清正の嫡男である加藤忠弘の時代と熊本城の歴史に焦点を当てて資料を展示しています。

2023年11月4(土)にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所の佐藤毅彦教授の天文講演会も開催されるとのことなのでこちらも興味のある方はぜひ、この機会に公式HPより申し込みしてみてください。

江津湖に生息している生き物も展示されていてるほか、貴重な展示品の数々、地震の仕組み、熊本の地形など幅広く学べるのでとてもおすすめです!

営業時間:9時~17時(入館は16時半まで)

休館日:月曜日(※祝日の場合は翌日)、12月29~1月3日まで

アクセス

加藤神社

主祭神:加藤清正公

白い鳥居が特徴の神社です。

境内のみどころ

  • 太鼓橋…清正公が文禄の役で持ち帰った記念の橋で、帰国後における橋づくりの原型
  • 大手水鉢…熊本三手水鉢といわれ、加藤清正公の重臣大木邸使用のもの
  • 清正公の旗立石…文禄の役の記念に、明治42年に肥前名古屋城から移されたもの
  • 清正公お手植えの銀杏の樹…熊本築城の際、大天守前の銀杏と共にお手植えされたもの
  • 加藤忠弘公のゆかりの松…清正公の嫡男である忠広公が出羽庄内の丸岡(現:山形県)に罪人として追放されてから居住していた、丸岡館から望む山より持ってきて植えたとされる松

アクセス 

熊本城内北にある、重要文化財・宇土櫓に隣接する神社

駐車場:境内にあり

熊本県伝統工芸館

熊本県の伝統工芸品などを観て、触って、知れる工芸館になっています。郷土玩具もあり、即売も可能です。90品目が取り揃えてあり、熊本の歴史・文化を知ることができます。

営業時間:9時~17時 定休日:月曜日(※祝日の場合は翌日)、年末年始

アクセス 

駐車場:無料(20台)

熊本県伝統工芸館
熊本県伝統工芸館では、伝統工芸品の展示や販売、体験イベントなどを通して、伝統工芸品を「観て」「触れて」「知って」いただき、そして実際に使っていただくことで皆様方の日々の暮らしに豊かさと潤いを感じていただきたいと願っています。

まとめ

現在、熊本城は完全復旧に向けて取り掛かっていますが、完全復旧するまで約30年ほどかかります。

しかし、現在は全長約350mにも及ぶ特別見学通路と呼ばれる空中回廊が設置されたため、普段は見ることができない景色を至近距離で見ることが可能になりました。

震災後の被害の様子も上から見ることができるのは貴重な体験なのでこの機会にぜひ、訪れていただきたいです!

熊本城の天守閣内部では、加藤清正時代の城づくり、町づくりについてより具体的に学べるので非常に興味深くて面白かったです。

また、細川忠弘時代の城下の拡張を模型や映像で学べるのでお城好きにも、そうでない方でも楽しく学べる内容になっています。

西南戦争や熊本地震を経験したことから、これまでの復興の様子も詳細に知ることができるのでそこにも着目していただきたいです。

B1階では、小天守の穴蔵を見ることができ、石垣や井戸、石階段などの実物を見ることができます。6階まであり、じっくり見ようと思うと2時間ぐらい要するかもしれません。

何度でも訪れる価値があるので、ぜひ訪れてみてください!

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